04/11/2012

最大の敵への処方。

感情の生き物に属しているのである。
機嫌の良し悪しがないわけが、無い。
そして生き物であることには変わりない。
潮の満ち干きや風の有る無しや湿気の有無そして陽射しの強さにだって左右される。

ワタクシという生き物は、そういう者なのだ。元来。

けれども、
人間には生き抜く中で「役割」が概ね在り、
独りぼっちでない限りは他者からの期待と言うものが、
少なからず存在している。

物事を「目論み」「決める」ことを期待されている者は、
その際に自信を以って処さなければならない。
自身の自信が稀薄であると、周りに不安が引き起こり、それが確実に伝播する。
自信が全く無いことは許されないのだ。
目論むからには、決めるからには。
自信が全く無いのならば、その目論みは間違いでありその決断は誤りだ。
例えば、一縷の望みに賭けるのであれば、覚悟が要ると言うことなのだ。

そこに、
「弱気」は在ってはならないのである。
目論む者には、決める者には。

もし、そんな局面に弱気が引き起こったとしたら。
僕は僕の少年時代の英雄の言葉を唱えることにしている。

「弱気は最大の敵」

(なのだから、自分で心の中に弱気を起こしたりしない)

炎のストッパーと呼ばれた彼の言葉を借りて、
口の内で唱えさせてもらっている。

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03/11/2012

感謝。

清々しい朝の陽に、
美味しい食事に、
安全な通勤に、
挑戦出来る仕事に、
協働する同僚に、
気心の知れた仲間に、
くつろげる場所に、
和める音楽に、
刺激を頂ける文章に、
瞬く星空に、
輝く月に、
そして、
いつも傍らに居てくれることに、
それらを気付かせてくれる僕の日常に、
感謝して止まない今日なのだ。

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02/18/2012

命の洗濯を。

やっぱり2月は苦手だと改めて実感した昨日。

朝から空っ欠で、どうしたものかと思いながらも、
なんとか『事務方』仕事はこなして夕方に辿り着く。

今、思うと、昨日は11時に上がってしまっても良かったかもだ。
以前ならばそれを実行していたのに、そうしなかった自分に今、気が付いた次第。
やはり、僕の中での変化が起きている。

けれども、勤務時間内に自己補給なり自己修復までには至らなかったので、
ヨレヨレになりながら会社を出た俺である。

昨夜は会社は違えど話が出来るアキラくんを呼び出した。
齢は一回りの差があるが、彼はなかなかに会話が出来るヤツなので僕は助かっている。
大阪は京橋と言う所謂、下町で落ち合い、
魚の美味い居酒屋でヤり始める。
店の外では「おらっ!えぇ度胸しとるやないけー、コッチ来いやぁ、ボケー」と、酔っ払い同士が揉めている、
そう言う庶民的な街で飲み始めた。

元々仕事の話をする約束だったので、酔いが回る前に一通りの話をして、
それからお互いの私生活の下らない話を披露し合った。
彼は下卑た内容も巧みな比喩で話せるヤツである。
そう言う人材は貴重であるので大事にしながら会話を楽しんでいる。
かつての?お互いのタネを蒔いたネタを巧く話せるのだ。
彼との会話の中で僕に新鮮な気付きがあったので、
それは別の機会で別の場所で整理をしたいと思う。
ともかく、アキラは強者であることがよく分かった夜であった。
まあ、ヤツが俺をどう感じ取ったかは…また改めて聞くことにしよう。

とは言え、心身の体力が枯渇していることには変わりない。
このまま、夜の街を彷徨いていたら行き倒れになりかねないので、
比較的浅い時間に切り上げて帰ることにした。
一時、電車に揺られて駅を出ると、
空から白いものが舞い散っていた。
気の持ちようで受け止め方は異なるのだと改めて思う。
昨夜の僕は夜に舞う雪を美しいとは思えず、
ただただ邪魔で鬱陶しい物体にしか感じなかった。
俺の視野を遮るなよ、と言う感じだ。

雪の中を不快に感じながらてくてくと歩き、
寝床に辿り着いたなりそのまま真っ暗な睡眠に陥った。

そうして。
目覚めた今朝。
大したもので、いつも目が覚める時刻になると、どんな状態であっても一度は目が開く。

風呂も歯磨きも済ませていないことに気が付き、それを行なった今朝である。
と言うことで、朝風呂に入る。
最近、ぬるいお湯に長く浸かる習慣が付いたので、
今朝もボンヤリしながらぬるめの浴槽に居ながら時間を掛けて歯を磨き、
ほわほわととりとめもなく考えを巡らす。
脳の中と身体の中の凝りが湯に溶け出す感覚だ。そうしながら頭の中の断片化されているものごとを整理整頓を自動的に行う。
(業界用語?では、デフラグしている、と言える)
湯に半時間浸かり、弛む弛む弛む弛む弛む…。
弛緩しきったところで湯船を出て、
朝を感じながら冷蔵庫からキリンラガーを取り出し、頂く。


そうやって、この文章をだらだらだらだらと書き散らしているのだ。
まあ、よかろう。
これが一つの癒しである。ある意味での自慰であるがそれもよかろう。

こうやって命の洗濯をしながら、平々凡々な僕は日常を生き抜くのだ。

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02/17/2012

空っ欠。

僕にとって2月は6月と並んで苦手な季節だ。
鬱と頚椎ヘルニアを患ってから、それらをある程度克服した今でも心と身体が上がり難い。
寒さが厳しく陽の光が少ない2月は、頚と左膝と左踵が疼く日が多い。
特に湿度が高い冷たい日は、鎮痛剤とカフェインが無いの全く人間として使い物にならないと言ってよい。
まあ、もうすぐ45年物となる自身を踏まえると、ガタが来ても仕方が無いのかもしれない。
むしろ、それ以外は至って良好であるようなので、一年の内でこの2つの月をやり過ごせば、他は概ね快適なのである。
よって文句ばかりも言っていられない。

そんな状態の中、今週は月曜日初っ端から障害に塗れて滅入った上に、なんやかんやと心身を削られる出来事に見舞われた。
とは言え、気持ちが下がらないよう、なんとか自身を鼓舞しながらなんとかかんとかやってき
たが、本日金曜朝の米国との電話会議の内容があまりにも冴えなかったことで止めを刺された始末である。
燃料切れ、ガス欠、Empty、燃やすものがもう存在しない、空っぽ空っ欠を久々に実感した。
なんとか今日が終りそうであるが、どっかで燃料を補給しないとくたばりそうな感じだ。

やれやれ、どうしたものかね。

取り敢えず、今日は閉店、店じまいだ。

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12/24/2011

素直。

『素直な心』

経営の神様と言われた方がその大切さを解かれていた言葉だ。

僕もこの言葉を気に入っていて、
ある意味での人生の岐路に於いて、
この言葉を心の中で唱えてから次の進む向きを決めてきたと思う。

最近ふと、
素直ってなんだろうと言う疑問が降って湧いてきた。
素直になるとはどういうことなのか。
少なくとも自身の野性に任せて本能の赴くまま、と言う意ではなかろう。
まず、根底に人としての倫理があっての上での素直なのだろう。

ではその上に建つものは何か。

何事に対しても疑うことなく、
信用し信頼を持つことではなかろうかと言うことが浮かんできた。
自身も含め、万物に対しても信用と信頼を以ってすれば、
人は素直になれるのであろうと思う。


逆説として、
素直になれないのは、
裏切られることを恐れているからなのだ。
素直になって裏切られると、
自身が痛くて痛くて堪らなくて耐えられなくなるからではないだろうか。
だから素直になれないのだ。


つまり、
素直さの裏には、
万物を信用し信頼して、
己を委ねる強さと覚悟を持つことを前提にしているのではなかろうか。
世は概ね悪い向きには流れていないのだと信じる強さ。
ある期間を切り出したところで、
ものの動きには『波』がある。
潮が引いている時にそのことを受け容れずにとやかく考えたところで、
正解が出るわけがないのだ。

そう想えることが、
素直な心の奥底にあるのだろうと、
僕は思う。


僕は、
信じてみようと思う。
信じたいと願う。
僕らは決して後ろには進んではいないのだと。
未来を信じて、
素直な心を持とうと改めて想うのだ。

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11/12/2011

『悲しくも美しい平和への遺産』から伝えられて。

偶然に遭遇した展覧会。藤城清治さんの版画展だ。

誰しも一度は必ず目にしたことのある、切り絵・影絵・版画。
最近では、
爆笑問題の田中光さんの作品を絵本にした「マボロシの鳥」をご存知の方も多いと思う。
小人・猫・少女と印象的なキャラクターが多く、僕もそれらをはっきりと覚えている。
今日、作品の数々を拝見して引き込まれたのは、そのキャラクターが描かれている情景だ。
空の色、建物の奥行き、緑の深さ、光の鮮やかさ、影の深さ。
どれもキャラクターの居る作品の世界に、ぐっ、と持って往かれる感じがするのだ。
『クリスマスの鐘』のステンドグラスの彩りは、それだけを観ても心が震える。

その中で、僕が最も惹きつけられたのは、『悲しくも美しい平和への遺産』という作品だ。
そう、今は緑と青空に囲まれた原爆ドームを描いているのだ。
僕は広島に生まれた訳ではない。
17才から19才までの2年半、生活の半分を広島で過ごすことはあったが、
ドームに直接足を運んだのは2度くらいだ。
旧市民球場の横を歩くとその視界の先に見えるくらい、そんな存在だった。
けれど、
藤城さんの描くドームに、深く深く、引きずり込まれた。
蓮の緑、淡い青空、大木の影、
そして忠実に描かれたドームの上を羽ばたく千羽鶴たち。
僕はしばらくこの作品の前から動くことが出来なかった。

山口県に住む僕の母は、
小学生の時に北東の空に原子雲を見たことを鮮明に覚えていて、
幼かった頃の僕に、
雲の大きさと戦争の恐ろしさを、何度も何度も何度も言い聞かせていた。
絵を見ながら、その母の話を思い出した。

僕は藤城さんの絵をゆっくり観たくなって、図録を購入した。
『悲しくも美しい平和への遺産』に関して、藤城さんは次のようなコメントをされている。
藤城さんはサイン会で広島へ行って、
「今、自分が描かなければいけないという衝動にかられた」のだそうだ。

今、自分が、成さなければならないこと。
僕らにはきっと、そういうことが必ず在るのだ。
いや、今、こうしていること全てが、自分が成さねばならぬこと、
他の誰にも成せないことだと思う。
飯を食うことも、洗濯をすることも、掃除をすることも、
今、自分しか成せないことのはず。
加えて、僕らに必要なことは先輩に伝えられたことを、
後進に伝えることなのではないかと思う。
母や父に伝えられたことについて、
僕らは確かに伝える使命があるのだと、
ドームの絵が僕に伝えたのではないだろうか。


http://www.seiji-fujishiro.com/

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10/22/2011

鉄火場に入る前に。

最近、
『愚痴』と称してプロジェクトマネージャ(PM)と会話をすることが、
時間的にも量的にも増えてきた。
本来であれば、
プロジェクトの初期段階で、今のように高い密度の会話をすべきだったのだろう。
しかし、過ぎた時間は戻らない。
制限された範囲の中で目的の達成と成果の最大化を図るのがプロジェクトの本質であると考えると、
残り半年をどうするのかと言う会話は、
プロジェクトに於いては健全な会話であると思う。

PMとは一年半の期間、組んでやって来た。
この期間に於いて、キツイ状況が何度かあって、それをなんとか乗り越えて来た。
その中で培った、
否、その中でしか培えない信用と信頼があり、
信頼と信用の感覚をお互いに持つことが出来るようになって、
僕らはようやく要員に対する生臭い話も、
気負いや遠慮なく交わせるようになったのだろう。

プロジェクトの目的の達成と成果の最大化を、残り半年と言う期間で、今のメンバーでやるにはどうするのか?
二人の現状認識は、
個人の育成を云々言っている局面は既に過ぎてしまっていること、
将来性よりも今、それぞれが最大に出来うるテーマに各員を配置しようと言うことだった。
プロジェクトが倒れてしまったら、
育成も将来も語ることは出来ないのだ。

ここからが、正念場。
僕らは怠惰に今の状況を迎えた訳ではなく、
むしろその時その時に打てることは精一杯やってきた。
後から振り返ると、
もっとこうしておけばとは思うのだが、
それは明日に生かすことだ。
僕らは評論でお金を頂いている訳ではない。
道なき道を切り開く、実践者なのだから。


自分達も生き延びて、
誰ひとりの脱落者も起こさずに、
プロジェクトを完遂させてやろうじゃないか、俺たちで。


最上級のプロジェクトマネージャには怒られるかもだが、
この厳しい状況を乗り越えてみせることが、
プロジェクトマネジメントの醍醐味だと思っている。

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10/17/2011

目前の目標。

これも、備忘録であり宣言です。

来年の3月31日(土)が、節目になるはず。
なのでまずは、その日を目指そう。

誇りと夢のために。
(直ぐに、ドラマ『南極大陸』に感化されてオリマス)


忘れないように、挫けませんように。

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転機。

転機。
先々で、
それらの日々は実際には日常とは変わらなかった、と言うことになるかもしれない。

そうだ。
僕らは僕らの日常に於いても、絶えず変化をし続けているのだと思う。
むしろ、
変化の無い日常が僕らの元に訪れたとしたら、それは憂れうべき問題となるだろう。

けれど、
今日の時点で今年、ふたつの大きな転機が僕にはあったようである。
具体的な変化が日常に現れるのは、まだ先のことかもしれない。
とはいえ、
小さくは無い変化が既に幾つか起こり始めているように感じる。

6月9日(木)、
そして10月14日(金)。

来年の今頃に振り返って、
やはりあれとこれの切っ掛けだったのだと気が付けるように、忘れないように、
こうして記録を残しておこう。

勿論、
善い転機であるように、なるように、
努力を続けようと思っている。


これは、
備忘録であり宣言であるとも言えるのだ。

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04/18/2011

Facebook、はじめました。

あたかもノリは『冷やし中華、はじめました』のようですが。
始めてしまいました、Facebook。

現在の業務テーマが、『国や地域、文化を跨がった、情報の交換と業務の協同を実現する環境の構築とその具体化』言うもので、
こう言った類似する分野に於いて大いに流行している Facebook なるものを体験せよ、
との社命?に従い、
ようやっと先週末から利用を開始した次第であります。


ふぅ。

自身の業務を久し振りに世間の皆さまに対して文字として表現してみたのだけれど、
なんとも怪しげであると我ながら改めて実感させられる。
コンサルタント屋さんぽく言うと、
グローバルなコミュニケーションとコラボレーションによるビジネス・プロセスのイノベーションの推進、てなカンじかな。
言語明瞭意味不明なモノであるかもしれないけれど、
自分としては乏しい智恵をぎぅぎぅに搾って、論理を組み立てて日々の会社生活を過ごしております。
まあ、会社生活と言っても、
資金繰りと納期調整と品質不良の申し開きが主たるものなんだけどね。

やれやれ。


で。
Facebook なるものをぽちぽちと触っております。
本日3日目、
「おぉ、コレはスゲー」とか「アハっ、オモレー」とか「ウヒョー、たのすぃ〜」と言うコトは残念ながら未だありません。
比較は適切ではないのだろうけれど、
今から20年前に体験したパソコン通信における出来事の方が、
僕にとっては鮮烈なままなのだ。

初体験の快感、ってヤツはその人の一生を縛るのか?
いやいや、そんなコトもないよなあ、こなれてきた頃に知るモノってのがホンモノや!
などとモソモソと思索をしていますが、
ことにネットワーク・コミュニケーションにおける僕の体験は、
初めの頃の方が刺激的あったようです。

何事も最初の頃は角が取れていないから、
色々と突き刺さってくる。
それで残念ながら大怪我をして距離を置くようになる人も居れば、
たまたま怪我なく良いところを享受出来た人も居る。
乱暴な表現だけれども、全ては縁と巡り合わせなのだと想う。


故きを温め昔を懐かしむ訳ではないのだけれど、
FacebookもTwitterもmixiも、
コンピュータ・ネットワーク・ツールとしては、
20年前から大きくは変わっていないのかもしれない。

所詮は手段、それを使うのは生身の人なのだと改めて思うのです。

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12/06/2010

『想い出のスクリーン』

『想い出のスクリーン』
ようやっと。

マイiPodに保存された曲数が、4,000を超えた。
週末にコツコツとiTunesに吸い上げているのだけど、
自身の持っているディスクの何割が持ち出し出来るようになったのかは定かではない。
吸い上げ担当のマシンは非力なネットブックだから効率は悪いのだろうけれど、あまり気にはなっていない。
今のところは。
特に納期があるものではないのでノンビリとやっているところだ。
バッハのカンタータ全曲を持ち出したくて、今年の年初にiPodを入手して、それは早い時期に完了出来たから、このようなペースなのだろう。

もっとも、日頃に聴いているのはバッハではなくて、もっぱら70年代から80年代のJ-POPばかりなのだけれど。

一時期と比べると、音源を購入する量と速度が低下しているから、このノンビリペースで全く問題無いと思っている。

今朝も選曲をiPod(Genius)任せていると、
八神純子さんの『想い出のスクリーン』が流れてきた。
シングル盤を小学5年位に買った音楽を今、シリコンオーディオで聴いているのは、ちょいと不思議なカンジだ。
続いて流れるのが、佐野元春さんの『シュガータイム』ってのもねぇ。
なんとも。

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08/10/2010

久しぶりの帰郷。

故郷の空気を吸い、匂いを想い出したくて、
帰郷します。


想えばいつの間にか、
故郷で暮らした年月よりも、
都会に出ている年月の方が長くなってしまいました。
今回は、僕の少年の頃の痕跡を捜してみようかと思っています。

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06/19/2010

朝帰り〜夏のマダム〜総武TRAIN / AGHARTA.

朝帰り〜夏のマダム〜総武TRAIN / AGHARTA.
この季節の今の時間帯、AGHARTA の音が合う。
気温25℃、湿度100%の雰囲気にぴったり。この肌に纏わりつく感じが寧ろ心地良い。
「なんとか風(ふう)」と言うと、長万部太郎氏に悪いかもだけれど、
ア・ガ・ル・タの楽曲にはカドマツが愛した音楽達への敬愛が溢れ出しているように思える。
はっぴいえんど風、サンタナ風、松岡直也風などなど。
風味なのだけれどそれをそのまんまでは出さずに角松敏生味を加えるところが、
なんとも。


もっと分かり易くすれば、もっと売れるのだろうなあ。


それは、本人も充分に分かっているんだろうけど、
やらないところが角松敏生が角松敏生たる所以。
まあ、きっと分かり易くしなくってもそこそこ掃けちゃうから変えずに済んでいるんだろうな。


それにしても。
アルバム「ア・ガ・ル・タ」の楽曲は、
ホントにこの季節のこの時間帯のこの天候にハマり過ぎだ。
特に電車に揺られながら聴いてると、
気持ち良過ぎ。
「総武TRAIN」なんて、今この時の為に造ったんじゃないの?と思えちゃう。


聴き手の手前勝手な妄想なんだろうけど、ね。

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06/14/2010

Summer 4 Rhythm.

Summer 4 Rhythm.
関西は昨日から梅雨入り。
春の麗らかさと初夏の爽やかさを実感しないまま、
なんとなく冷たい梅雨になってしまった。
なんだか街並みも今年は調子外れなのか「ぼんやり」とした雰囲気を漂わせている。

コツコツと my iPod に音楽を溜め込んでいるのだけど、
「時系列」でディスクから吸い上げてもあまり意味が無いことにようやく気が付き、
昨日からは「棚から一掴み」したディスクを吸い上げている。
そこで、今朝は吸い上げたばかりのアルバム「Summer 4 Rhythm.」を聴いている。
聴いていると、
例え、なーんにも無いコトは分かっているのだけど、
夏に向かうドキドキワクワク感を想い出す。
やっぱりカドマツの夏ウタは最高だと思う。

で、夏のドキワク感。
出来事は季節を問わず何時だって起きているのだけれど、
殊に夏は特別感がある、
ような気がする。

そんな気がする、と言うトコがミソなんだろうな。きっと。

気は心、
日に新たに夏に向かって大嫌いな梅雨をやり過ごしましょ。


あっ。そうだ。
俺、先週いっこ、年を食ったんだ。
自分でも忘れてたわ。
プロフィール、修正しなくっちゃ、だ。

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05/06/2010

営み。

営み。
連休明けの梅田、6時半過ぎ。

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05/02/2010

その心は?

今朝は久しぶりにゆっくり眠れた。
その為か明け方に断続的に夢を三つ続けて見てしまった。


ひとつ目。

何故か。
街中で宇宙ロケットが打ち上げられた。
俺はその現場に居た。
打ち上げは見事に成功、
ロケットは地球周回軌道を目掛けて飛んで行く。
遥か上空のロケットから赤い火花が立つ。
どうやら第一ロケットを切り離したようだ。
切り離された胴体が赤く燃えながら降下する。
そいつは打ち上げられたこの場所に向かって来る。
冒頭にも言ったがこの辺りは(何故だか)民家のど真ん中だ。
ヤバい感じがしながら赤く巨大な物体を目で追い、
落下地点と思われる場所から走り去ろうとする。
走る路はもちろん街路だ。
頭上を燃える落下物が通り過ぎたその時、
激しい爆音と縦揺れ、
そのすぐ後に降り注ぐ瓦礫。
落下地点に目をやりながら、何なんだと思う俺。


ふたつ目。

ここは社内。
床や壁の造りは馴染みのあるものだが、
見たことも使ったことも無いはずの会議室。
そこにはプロジェクトが遅々として進まぬことに苛立つプロジェクトリーダーが居た。
「アイツはアカンな。
英語は出来んしメンタルも細い。これと言った切れるスキルもケーパビリティも無い」
上役が部下の評価を下す言葉は辛辣である場面には何度か遭遇したが、
その中でもこれはかなり厳しいものだ。
こんなのを当事者として直接に食らったら勤め人としては廃人になってしまうな、と思う。
「で、なんであんなんにPMOをやらせてんねん。
選んだお前らの責任でもあんねんで」
…。
どうやら評価を下された者は俺だった。
俺はその現場に居るにも係わらず、
どうもその場には居ないことになっている、らしい。
何なんだよ、コレって。


みっつ目。

ロケットの次はスペースシャトル。
今度は街中ではなく、テレビジョンでよく目にする光景だ。
フロリダの空に打ち上がるシャトル。
白煙を伸ばしながら上昇していると、
その煙は四方に広がった。
それはまるで24年前のチャレンジャー号の事故の再生画像を見ているようだった。
…って、なんでスペースシャトルの打ち上げ、しかも大爆発やねん。

その心は?、と問いたい皐月の始まりだ。

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04/21/2010

あいたた。

三日連続の腓返り。
ちと、ヤバい?

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04/19/2010

夢日記〜乗り遅れ。

今朝の二度寝中に見た夢。


とある事情?で船にどうしても乗らなければならなくなった。
該当の船を、誰だかはっきりと分からない連れと共に埠頭で見つけ出した。
それは外洋を航海するような大型、しかも帆船である。
まさに岸を離れようとした刹那、
船体にへばりつき、
ロープを手繰り寄せて甲板によじ登った。
連れも僕の後に続く。


「で、この船はどこに向かうの?」

甲板上で舵を切る船員にこう尋ねた。


そんなところで目が覚めた。
果たして何を暗示しているのやら…?

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04/05/2010

任して任さず。

−へなちょこPMO日記(7)−


プロジェクトを推進する立場と役割に於いて、
今までとは、
やり方を変えてみようと思った初日。

何をどの様にどれ位ほど、変えたのか。
振り返りは、もう少し変える努力をしてから行うとして、
今は兎に角、意識して変えている。

変えたコトの基本的な考え方は唯一つ。
「任して任さず」の実践。


手足を動かしたがる自身をどれだけ自制し、どれ程に目や耳などの五感と気持ちを配ることが出来るのか。


とんでもなくどデカいプロジェクトを前に、
自身のささやかな成功体験とは、少し距離を置きたいと思っている新年度の始まりだ。

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03/31/2010

誰が言ったかは、ともかく。

-へなちょこPMO日記(6)-

流石に身体が重い。
疲労が抜けないのだ。
三月は週末を完全休養に充てることが出来ていないことが理由。


『ロシア人は言った、疲れたら休め』
そう詩に書いたのは川崎洋氏。


休むことも自己管理。
なんとか休養を取ろう。

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«イヤなモノは試しにひっくり返して、観る。