09/11/2009
会社で読書のことが話題になった。
社内ではあまり公言していなかったのだけれど、
最も大切な作家が村上春樹氏である旨を述べてみた。
多からずではあるが、読者が存在することを確認出来た。
オススメの作品は何か。
そんな話題になった。
以前ならば幾つかの作品を挙げることが出来たのだけれど、
昨日はどうも勧める気にならなかった。
人気作家だけれど、果たして普遍的に他人へ推奨できる作品はあるだろうか?
そんなことがアタマをよぎった。
シングルモルトウィスキーは旨いに違いないにしても、
モルトに興味の無い人に旨いモルトを勧めることが出来るのか。
そんな感じを覚えてしまった。
その場のメンバーの多くは東野圭吾氏を読む人が多かったので、
どれかオススメを挙げてみても面白かったかもしれない。
その場では少数派であった、村上春樹読者の一人は、
「オススメは『風の歌を訊け』、
けれどイチバン好きなのは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』」と言われていた。
『風の歌を訊け』を勧める勇気は僕にはなかったのだけれど、
『世界の終わりとハードボイルドワンダー』については激しく同意をしてしまった。
「『1Q84』はもう読まれましたか」の質問があり、
発売日一日前に幸いにして入手出来たのだけれどまだ手を付けていないと答えた。
読むのならまとまって一気に読みみたいので時間を作る必要があると言うと、
他のメンバーはかなり意外そうであった。
実のところ。
今はアタマが活字を全く要求してこない。
だからページを開くことが出来ないのである。
活字的インポテンツ、とでも言っておこうか。
季節も秋になったので、
街中の猫たちのような活字的サカリが来るかもしれない。
けれど、今は不能者であるのだ。
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07/27/2009
昨日は『たまたま』FNS26時間テレビを見た。
伸べ時間にして、これ程この番組を見たのは、それこそ時間が売るくらいあった大学生の頃以来だ。
感想はと言うと『疲れた』だった。
最近の、民間放送が制作する所謂バラエティー番組を見るのが辛く感じていた僕だったのだけれど、
昨日の26時間テレビで『決定的に無理』になってしまった。
きっと僕が年を喰ってしまったからなんだろうけれど、
プログラムが放つ雰囲気を許容することが出来なくなってしまったのだと思う。
番組に構成や演出の存在が感じられない、
画面に映る演者に芸を見いだせない。
つまり僕の感性が、今、ウケているプログラムを心地良く感じることが出来なくなっている。
むしろ不快に感じていたのだ。
『おバカ』も芸の一つとしても、
週イチ1時間なら笑えるけれど26時間はさすがに笑えなかったことから、
四十代のオッサンのアタクシの有り様を実感した。
『おバカ』芸じゃない芸が出来る芸人は、
もうテレビジョンには戻って来ないんだろうなぁ…。
それにしても。
島田紳助には、
もっと巧みな芸があったと思うんだけど。
特に上岡龍太郎師匠と絡んでいた頃の進行や芸人いぢりは、
秀逸だと感じておりました。
(週ニのEXテレビ大阪が楽しみだった)
その頃が『良かった』と言っていること自体、
アタクシが老けた証拠なのかしらん。
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01/01/2009
元来、
サッカーよりも野球、サッカーよりも格闘技、サッカーよりもモータースポーツが好きだ。
けれども、
先日のCWCにおけるガンバ大阪の活躍から、今日の天皇杯の決勝戦が気になっていたのだ。
15時過ぎにテレビジョンの前に座ると、画面から目が離せなくなった。
サッカーの試合は45分間全てが緊張している訳ではないので、
どうも僕の嗜好に合わなかったのだが、
今日のガンバ大阪と柏レイソルの試合はそうではなかった。
レイソルも錬れた良いチームであることはその動きで感じることが出来る。
けれど、それを上回る練習に裏打ちされた運動量とパスを回すガンバの動きに惹きつけられた。
正直なところ、
リーグ戦や代表戦を観るよりも、
この決勝戦は緊張感が高くそして麗しいゲームだと感じた(thrill & elegance)。
監督である西野朗氏と、
その監督の意図を十分理解したチームメンバーが描くフィールドの動きは、
観ていると非常に心地好い。
チームを造った西野監督とコーチ・スタッフ陣、
そしてそのチームでの信念を具現化する遠藤・明神・安田・山口・ルーカスなどの主力選手達を観ていると、
僕は純粋に「憧れ」の気持ちを抱くのだ。
「ヒーローになって来い」と送り出す西野監督とそれに応えた播戸。
こんなことを大舞台の延長戦後半でされちゃうと、まいっちゃうよね。
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09/16/2008
昨日に続いて音楽に関する番組を観ての話。
番組の構成のためだと思うのだけれど、
『スーパーキッズ』よりも『オケぷぃ!』の方は子ども達の頑張りにスコープしていた。
どちらが良い悪いでは無いが、
やはり直接的に訴えかけられたのは『オケぷぃ!』の方。
不覚にも目頭が熱くなってしまった。
まあ『オケぷぃ!』にはラストにとんでもないコトがあったからなんだけれど。
頑張った子ども達は素晴らしい。
それに加えて素晴らしいと思ったのは、
指揮・指導者である服部隆之さんだと思う。
人と交わり人にまみれた人好きだからこそ、
チームを率いて空間芸術を造ることが出来るのだろう。
服部さんにしても佐渡裕さんにしても、その点については共通だと思う。
これは音楽演奏に限らず、
時間と空間を扱って造る物事全てにあてはまるのだと僕は思う。
人と交わり人にまみれた人好きであることについて、
僕は改めて信用し信頼した次第だ。
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03/30/2008
先日、もう一度食べたいと思った串カツにはじめて出逢った。
陳腐な表現だけれど、インプレッションを記したい。
本当に旨かったのだ。
舌の記憶に残る串カツを食べたのは、はじめての経験。
今も、あの時に食したうなぎの「とろり」とした感じと、もちの香ばしさを口と後ろ頭の辺りが覚えていて、
もう一度食べたい食べたいと訴えてくる。
それと一品に出された、かまぼこ。これも良かった。
添えられた調味料、
ワサビと醤油も旨くて、これらで十二分な酒の肴なのだ。
また行かねばならぬ。
神戸「串カツ、美冬露」
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01/04/2008
これまた年末年始のお話。
NHK-BSで『関口知宏の中国鉄道大紀行』のダイジェストを放送していた。
やっぱり、見入ってしまった(苦笑)。
鉄道による陸路の旅というものにそもそも憧れがあるのだけれど、
僕は関口知宏さん自身にも強い共感があるので、
彼の造る番組を見て、感受したいのだ。

と言うことで。
またもや買ってしまいました。
今のところ中国大陸よりの我が日本の方に興味があるので、
JR全線乗りつくしの番組のものを購入した(片道切符の旅は既に購入済み)。
果たして、
ゆっくりと観賞できる時間が俺には在るのか????
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正月二日目、「古本市場」に久しぶりに行った。
家族連れによりごったがえする店内に疲れながらも、
ご覧の通りの戦果を上げることができた。

『踊る~』シリーズで未入手のものを全てUSED手に入れた。
最近、こういったコンテンツものは目にした時に手に入れないと、
入手が適わなくなる状況が多いように感じている。
廃盤、絶版の周期が明らかに早まっているのだろう。
厳密な在庫管理の故だとは分かっていても、
書籍・音楽・映像物も経済原理のみで製造流通されると、
消費者としては正直なところつらい。
まあだから、ネットワークによる流通販売が持て囃されるのだろうけれど。
「交渉人 真下正義」は結構、楽しみにしている。
地上波での放送を一度見たのだけど、かなり良い出来だったと思った。
ちなみに、
地下鉄は我々にちょっと馴染みのある神戸市営地下鉄だそうな。
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12/08/2007
欲しい時に欲しい物が得られると言うことは、
なんと幸せなことなのだろうか。
久しぶりに活字が欲しくなって、
途中で止まっていた「アフターダーク(村上春樹著)」を手に取った。
初版を購入して即、読み始めたのだけれど、
その時は三分の一くらいで、
小説を読み進める力がぱたりと無くなってしまっていた。
あれから約三年。
僕に降りてきた欲求は、
止まってしまった小説を読み進める力を今、改めて与えてくれた。
僕が選び僕の手がその小説を僕の棚から掴んだのだけど、
それはきっと与えられた物なのだと思う。
人は。
自分の内側では咀嚼出来ない物事が、
ある臨界を超えた時に小説を欲するのだと思う。
もちろん、
そういう欲求を有しているのは、
申し訳ないのだけれど結構、
限られた人に於いての出来事なのだと思う。
そして加えて久しぶりに、
誰かと物語について語りたい気分になる。
まあ、
そこまでの望みは贅沢と言うもの。
しばし、
まずは小説の世界観に脳を沈めてみよう。
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08/15/2007
なぜか、Queenだ。
いや、やはりQueenか。
割と近くのショッピングモール(イオン北神戸)に、
遅いブランチを求めて出かけた。
そこの特設コーナーで見かけた
「Queen/GREATEST HITS」(Greatest Hits [Parlophone])。
オリジナルかどうかは定かではないのだけど、
金壱阡八百円也の価格に釣られてしまった。
僕はQueenの世代から少しだけ遅れているのかもしれないけれど、
その当時でも耳に残る音楽だった。
FM放送からのエア・チェック(@死語)でカセット・テープ(@遺物)に録音をして、
テープが伸びる(@絶滅)まで聴き込んだ。
今、改めて、聴いてみる。
デジタル技術の進歩は本当に凄い。
当時に聴いてた音よりも確実に明瞭な音でフレディーさまの御声を聴くことができる。
そしてこの歳になって聴くからこそ、
彼らの音楽性と精神性の尖り方と清涼さを感じることができるような気がする。
大英帝国を始めとする欧州の芸術には澱みの先の得た清らかさがあり、
新興の米州のそれには澱みの先のアノものは存在しないのだ。
これこそ伝統が成せる事の故か。
「Bohemian Rhapsody」は、
それをまさに体現している音楽だと新たしく感受する。
この清涼さはの前にある歪みは明らかにその昔欧州にあった「バロック」だ。
コーラスの歪みっぷりが心地良い。
そのリズムとテンポがうねる先に、明るく開ける天上の音楽が確かにある。
フレディーは天上の輝きを見過ぎてしまったのかもしれない。
だから先に逝ってしまったのかも。
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07/16/2007
亡びの美、と言うのは東洋的な嗜好なのだろうか。
余りにも甘く、痛く佳きものだ。
その甘さと痛さに、
どうしてこれほどまでに、惹きつけられてしまうのだろうか。
昨夜(7/15)放送のNHK大河ドラマ『風林火山』(第28回:両雄死す)の、
甘利(竜雷太)と板垣(千葉真一)の死に様がなんとも甘く痛いことか。
二人を葬り去らんとする村上方、
そして二人を護ろうとする武田方の武将。
例え過剰な演出であろうとも、
滅びの嗚咽と慟哭に揺さぶられ揺り動かされる私の中の根源的なものは、
それはやはり、
私の中にある東洋的なものがそうさせているのであろうと想われ。
危険であるけれど、
亡びる者たちはすべからく美しい。
戦の勝ち負けとは、
己が誰を裏切り、誰を裏切らぬかでは無い。
何を護り、何を失うかだ。
決然とした甘利の言葉、
そして板垣の武勇に堪らなく魅せられた。
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07/09/2007
昨日、
「栄光の上方落語」と言うCDを聴きながら飲酒をして過ごした休日。
そのCDの特典、
いわゆるボーナスディスクに大師匠方の口上、インタビューなどが入っておりまして、
興味深く聴き入っておりました。
その中で最も印象深かったのは、
桂文枝師匠(当時は小文枝)が門下のお弟子さん達について話されている録音でした。
三枝さん、文珍さん等々、
今ではそれぞれ大師匠となられて、
それぞれの芸風でご活躍をされておりますが、
インタビュー当時(七十年代前半?)は若手・中堅の頃、
多分、深夜放送のDJやテレビの「ヤングおーおー」で人気が沸騰していた時代のお話のようです。
文枝師匠は彼らをまとめて「まだまだ足らん」と、
まずはひとまとめで斬りながら、
それぞれのお弟子について述べておられます。
そこで感じたのは。
弟子に対する師匠の想い。
殊更、
三枝・文珍両者へは、
強く想うことがあったのだと、
そのインタビューからうかがい知ることが出来ました。
ここからはあくまでも、私が感受したことであり、
文枝師匠が述べられたことではありません。
文珍さんには、
厳しさと優しさの二つを一心に注いでいるようでした。
「俺の跡を継ぐのはお前や」と想い、
それ故の叱咤激励なんだろうと感じました。
文珍さんの兄弟子である三枝さんには、
ある種の恐れと憎しみがあるのではないかと。
ワシ、文枝が存命の間に、
ワシを越えるのはコイツちゃうか?
しかもワシの芸を基礎としてワシとは違った芸の形で、
ワシの芸を凌駕するんちゃうか?
そういう恐れと近親憎悪に近い想いがあったのではないか、と感じてしまいました。
現在、
大師匠となった2人が、
新作落語を基本に高座に立つ三枝師匠と、
新作も演りながら古典を中心に据えた文珍師匠の違いが、
既にその当時から現れていた。
むしろ、師匠のそれぞれに対する強い想いによって、
二人の芸風に大きな影響を与えたのだろうと、私は思いました。
誰に就き、
誰に教えを請い、
誰と関わり、
誰に関わるか。
特に芸と云うものについては、
師匠と弟子の関係性の大きさを改めて実感しました。
そんなそれぞれの想いに曝されたおかげで、
昨夜は酷く酔っ払ってしまい、
軽く頭痛のする今朝でございます。
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06/18/2007
昨日。
電車の中で、
プラダのショルダーバッグを持った二人組みのお嬢さんと一緒になった。
二人ともお揃いで、
黒のパンツスタイルで、シルバーのピンヒール。
白の襟付きシャツの胸元を深めに開いて、
そこに小さめのゴールドのアクセサリ。
ブラウン系のヘアマニキュアにふわふわくるくるカール、
強めのマスカラ。
うん。
プラダのショルダーならば、
必然的にこういうスタイルになるのだろう。
シャネルになると、
黒のパンツスタイルではなく、
ミニスカートやショートのパンツスタイルになる。
色遣いもゴールドを基調して、
アクセサリーも大きめのサイズ。
極私的には、
レディースのバーバリーが好き。
シンプルなワンピースやスーツスタイルに、
なっていただければ非常に嬉しい気がする。
バッグに似合うスタイルは、
やはり必然として決まるものなのか。
そう言えば。
ハンティングワールドって、
あれだけ流行ったのに、
最近は見かけないよ、ね。
どこに生息しているのかしらん。
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05/08/2007
音楽の楽しさって、なんなのだろう、と想いが巡った。
音楽には夫々各々色々な楽しみが、あると想う。
その中で、普遍的で共通の音楽の楽しみとは、
リズム、メロディー、ハーモニー、そしてテンポで構成されており、
それら相対相互の強弱と高低と長短、そして緩急の関係を楽しむものだと僕は捉えている。
それはジャンルや時代、そして地域も問わないものだと思っている。
ロックもポップスもジャズも演歌も雅楽も俗楽も東洋も西洋も南洋も北洋も、
概ね共通していると、乱暴ながらそう考えている。
僕はポリフォニー(多声音楽)、
殊にルネサンスからバロックあたりまでの古式ゆかしい対位法(対位法の中ではモダン)で創られた音楽を、
嗜好し志向している。
現代においてこの音楽を演奏しようと考えた場合、
やはり多少の「作法」を習得することが必須だと思っている。
同様のことを例えて言うなら、茶席の様式美を楽しむことと同じようなものではないだろうか。
ここでいつも悩むことは、その「作法」の習得についてだ。
「作法」を身に付けていないと本来的な音楽の好さを表現することはできない。
けれど、その作法を習得する必要性は、
その習得しないと本質的な美を表現することができないことを「自覚」しないことには始まらないということだ。
作法を習得することそのものを「楽しい」と思えるかどうか。
ルネサンス~バロックのポリフォニーを音楽活動で自己表現できるかどうかの「分かれ目」なのだと僕は思う。
少なくともこの音楽は、
大きな声を出して好き勝手に粗雑に歌う楽しみとは異なる楽しみなのだ。
しかし、この音楽はその名の通り「多くの声」を使う。
つまり、同じ価値観と同等のスキルを持った声が多くで存在しないと表現できない、
独りぽっちではやりようのない種類の音楽なのである。
仲間には、作法は身に付けてもらいたい。
そこで、身に付けていない者を排他的に扱うことは間違いである。
況んや、
身に付けていないものに対して指導者が暴力的な独善の振る舞いをすることなど、
以ての外なのだと僕は強く想っている。これ僕の最も忌み嫌うことだ。
けれど、作法を身に付けていなければポリフォニーの様式美の出発点にも立つことができないことも紛れもない事実。
どうすれば、このことを一人でも多くの仲間に理解してもらうことができるのか。
この難しさの中でゆらゆらと揺れているのが僕なのだ。
出発点と言った通り、
ポリフォニーの様式美の先に音楽本来の楽しみが待っている。
そしてその様式美の先にある音楽の素晴らしさは、
僕にとっては他の音楽と比べようもないくらいの楽しさなのである。
その世界を、同じ価値観を持つ仲間と共有したい。
そう想いながら足掛け二十年、僕はこの音楽を演奏している。
楽しいってなんだろう。
独りぽっちではなく、
仲間の想いを集め、
この先にある芸の高みに少しでも昇って行くことができれば、
それはとてもとても楽しいのだ。
その楽しさの片鱗を体現できるようななれれば、
僕自身も楽しい音楽がもっともっと表現できるようになるのだろう。
そう想っている。
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04/01/2007
03/10/2007
生き物が生き続けるために必要なものは『欲』。
その欲を『業』に昇華せしめるのは、
その人に他ならない。
2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」が気になって観ている。
そこで描かれる、父・信虎と子・晴信との有様。
さすらい、のた打ち回る勘助の姿。
名優たちの素晴らしい演技と製作者の地に足が付いた演出に引き込まれて、
「人が人を人としてつきうごかす」ものについて改めて考えさせられている。
父に受け容れてもらえない、子。
悪しき旧きものに抗う、善しき新たしきもの。
その内在する才を存分に発揮することのできぬ、だらしない己。
人をつきうごかすものは私欲と私怨にゆきつくだろう。
そこから如何に不純物を取り除き純化し浄化かしてゆくか。
私欲と私怨に苛まれていては、
ちっぽけな独りは縡を起こすことなど出来ない。
「恨みでは、この武田は討てんぞ、山本勘助」と晴信。
「恨みを忘れて大望を見つめよ。さすれば、その目に武田の姿がハッキリと映ろう。」と北条氏康。
欲を業に昇華せしめ、
その業が善・悪・無記の何れとなるか。
その業により人は何を成せるのか。
今の時代に井上靖の作品を持ってきたことを深く強く共感し、
“内野流”山本勘助と”亀治郎流”武田晴信の、
生き抜き様を観ていこうと思う。
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03/09/2007
朝はテレビを流しながら身支度をする。
普段チャンネルは決まっていて、
NHK総合、もしくは毎日放送(TBS系)を流している。
今朝はいつもと違ってフジテレビを見ていた。
朝の番組で流れる事柄は、だいたいどの局も似かよっている。違うのはNHKが芸能ゴシップを扱わないくらい。
今朝の「めざましテレビ」も色々なネタを流していた。
印象に残ったのは次のようなもの。
日朝会談が決裂
↓
農水大臣の光熱費の件
↓
皇室の話題
↓
サトエリと海老蔵が破局
↓
アンジェラ・アキ結婚。
報じられている様は、
ニュースとも情報とも言えなくて、
ただのネタの列挙のような印象を受ける。
これら全てがメリハリなく並べられて発信されていることに、
強い違和感が湧き上がる。
まあ、偏りがないと言う見方も無いわけではないけれど。
いつもと違うから、
違和感は当然か。
けれど、
このメリハリの無さが当たり前になると、
さすがに日本と言う国の行き先に不安になってしまう。
みんなはこれが当たり前になっているのだろうかな。
そして、
これが自身の「オヤジ化」の現れかもだね。
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03/03/2007
YMO(イエローマジックオーケストラ)。
別に春に限った訳ではないんだけれど。
年何回か来る自分の中のムーブメント。
マイブーム?(@死語)。
ともかく、YMOがの音楽がしっくりハマる時季があるのだ。
今はまさにその時季である。
フツウの方々は彼らの音楽を単純なコンピュータミュージックと捉えているようだけれど、
それは違う。
彼らほど、アナログでアコースティックでバロックでロックなサウンドは無いと僕は思う。
単調なリズムと音色の模倣と聞こえてしまうのは、
申し訳ないのだけど聴くポイントを掴めていないのだと思う。
別にこういうことが、聴き出せない、分からない、判らない、解らない、ことを非難しようなどとは毛頭思っていないつもり。
けれどね。
彼らの音楽を素晴らしいと感じられるヒトを、
僕は信用し信頼できて、
とてもとてもとても大切にしたいと想えるのだ。
原理主義的になるとマズいんだけどさ。
(聴き取れない輩には少なくとも僕の目前では音楽の話題はして欲しくない、のは正直なトコロ)。
今、『東風(UC YMO版)』を聴いている。
細野さんのベースラインは所謂コンティニオだし、
ユキヒロのスネアは前ノリでブラシは後ろノリ、
教授はシンセで主旋律をしながらアコピで装飾を入れた対旋律を奏でている。
一聴、単調なリフレインのようできちんと音の位相を揺らがせてくる。
ああ、この脳を緩やかに攪拌させられる感じは一種の麻薬だ。
やっぱり、YMOはイヤープラグで密やかに体に容れるのが僕には合っているようだ。
ぽわわわん♪。
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03/01/2007
春陽の候。
早春の候。
浅春の候。
軽暖の候。
春暖の候。
春麗の候。
啓蟄の候。
モバイルATOKによる『三月』の時候の文章(『さんがつ』と入力した際の変換候補)。
うん。
いかにも春らしい。
さあ、春に向かいましょう。
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10/15/2006

本日は半期に一度の国家認定試験。
兵庫県西宮市の大学で受験した。
この大学。
実は受験生の頃の志望校であり、20年前に入試を受けた学校だ。
願い叶わず入学を許されなかったのだけれど。
西宮の住宅地の真ん中、丘陵地にたたずむキャンパス。
昭和以前に建てられたとおぼしき校舎。
20年前に来た時の記憶とほとんど変わっていない。
風情はあるのだけれど、
果たして学校としての機能に不自由は無いのだろうかと余計なことを思う。
これだけの土地なのだから、
もっと近代的で高層の設備を構えることができるだろうに。
分かっていてもあえてそうしないことが伝統なのかもしれない。
先日、
テニスの全英オープンの舞台となるウインブルドンが、
そのセンターコートに雨よけの開閉式屋根を2009年までに取り付ける改修計画を発表したことを聞いた。
「伝統とは留まり続けることではない。進歩する伝統もあるのだ」
改修に反対する意見に、
主催者側がこのようなコメントを返したと聞いた。
このキャンパスの内外でも、
伝統についての議論が交わされているのではないかと、思う。
試験の手ごたえが芳しく無かったから、
そんな余計とも思えることを考えてしまったのだろう。

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08/13/2006
判断基準とは何であるか。
「好き」「嫌い」
この二つの価値観に収束できる。
行動規準とは何か。
「好きになるように行動する」
「嫌いになるように行動する」
この二つに帰結する。
しからば。
その判断基準と行動規準を用い、
豊かに暮らすために我々に必要な考え方は何であるか。
「事象を多面的に捉える感受性と、
それを細密に分解できる分析力、
その結果を定着させる記憶力、
そしてその記録を再構成し新たなモノを生み出す創造力、
最後に自身の外に解き放つ表現力」
「それら全ての要素が均律して内在する者が、
豊かに暮らせる」
そう考える。
多面体を認識できる感受性に関する私的考察。
「事象を四面体と捉えるか、
六面体と捉えるか、
二十面体と捉えるか、五角六十面体と捉えるかの違い」
空間を認識できる能力を鍛えると言うことだ。
(この項、続ける。思い付く度に加筆訂正の目論見)
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08/11/2006
昨日は概ね「失敗」。
レビューの最中に酷く腹が立ってしまった。
程の良い子どもの喧嘩だ。議論にもなってない。
仕事で自分の激情が漏れてしまうことが情けない。
でも、
一方で自分を曝らす芸をしてるから漏れてしまうのは、
ある面では当然なわけでもある。
バランスが難しいのであります。
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07/24/2006
同僚との会話にて。
「このあいだ、ある心霊家が『孤独なのは自分の周りに人がいるから感じること』と、
訳の分からないアホなことを言ってた」
僕はオカルトについて、信用も信頼もしていないんだけれど。
これは、ある面の事実を現しているような気がしている。
僕自身の場合。
沢山の人の感情が見えてしまったり、
僕の中に過剰に流れ込んでくると、
処理と消化と昇華が出来なくなってしまい、
孤独を実感しているようだ。
孤独とは、
「結局、自分の事は他人には解ってもらえない」と言う感覚に根ざしてるんだと、
今は理解している。
私の中に他人が居ても、その他人は私を理解していない。私の中に居る他人が多ければ多い程、その圧倒的な無力感により孤独を実感するのだろう。
村上春樹の著書にある話において、
人の好い語ることの出来ない教会に住む青年が自らの命を絶ったのはそういうことだ。
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07/11/2006
呼応したかのような、今日の有り様。
昼間催す会議は紛糾が必至の状況。
回避打開策も浮かばず悶々とした一夜を過ごし、今は電車に揺られている。
諦めない。
考え続ける。
必ず物事は決着がつく。
例え全員が曖昧だと感じても、そこではなにかしらの事が決まっているのだ。結論を先送りにしたことを決めている場合もある。
その中で最善の落とし処をイメージするのだ。
無自覚に流れるのではなく、
その荒ぶる言葉と思考の濁流の中で舵を取り、少しでも目標に近づくために、最大限の努力をするのだ。
言い聞かせてみる。
実際に文字にしてみる。
出来るはずだと唱え、そして想像をすることを努めるのだ。
こうやって書いてみたらなんだかぼんやりと、僕の頭の中に像が浮かぶのだから不思議なもの。
なんとかしてみましょうか。
乞うご期待。
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07/02/2006
今日、
仕事をしているパートナーから、僕の文章が分かりやすくて的確だと言われた。
これは初めての経験だ。
いままで、わかりにくい、もって回った言い方、冗長など、結構つらくて厳しいコメントばかり頂戴していた。
だからこれは本当に素直に嬉しかった。
他の人の目にどのように映っているかは分からないのだけれど、
僕は論理的な人間ではなくて、かなり感覚的な性だと自覚している。
僕にとって、
書くと言う行為は、
とめどなく湧いてくるイメージを必死になって文字に置き直している感じなのだ。
これは僕の生き抜くための、ささやかな才能だと思っている。
売文で生計を成り立たせることは出来なくても、この才能のおかげで今の仕事がなんとか出来ているのだと思う。
今の仕事。
自分が良いと思うイメージを文字にして、
人と物とお金を集め、
人の気持ちを一つにまとめる。
それが今の僕の仕事なのだ。
書くと言う行為が僕の生計を支えてくれているのは確なことなので、それは充分、効用を発揮していると言えるのである。
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07/01/2006
昨日の職場での雑談。
人の魅力についての話題になった。
魅力。
コレって一つに規定するのは難しいような気がする。
「自分がそう成りたいと思っている姿」
「自分の備えている成れる姿」
「周りの人から期待されている成って欲しい姿」
この三つが高いレベルで折り合うと魅力的になるのだと僕は思う。
例えば、優しさがその人の魅力なら。
自分が優しい雰囲気を纏いたくて、自分に優しい雰囲気を纏う資質があって、そして周りがそれを期待してくれる人が、優しくて魅力的な人になるのだろうと。
ならば。
俺はどんな魅力があるんやろ?
自問してみょっと。
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06/13/2006
巷は蹴球、蹴球の今朝。
中継を観ないで事務所でシコシコとヤっておりましたわ。
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06/12/2006
八時からの打ち合わせに召集されて、この時間に電車に揺られております。
実あるハナシになれば良いのだけれど、経験則から推測するとそれはかなりの期待薄の状況です。
それを良い方に裏切ってくれればいいのだけれど、と願いつつ。
まあさ、
想うようにならんから人生の楽しみがあるんだけどさ。
大人なるってことは、自身が壊れる程の過度の期待をしないようになることだ、と、
さらりと実感する今週の始まりの朝です。
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06/06/2006
06/02/2006
結局、昨日は目論見が外れ、夜七時前に出張が終了、
直帰もできず、
一時間余りかけて事務所に戻りました。
俺、それほど仕事に熱心な方でもなかったのにな。
なのになんだか機嫌良く働いている。
ただ、
見習いたい先輩、
気の合う同輩、
可愛い後輩が周りに増えたのは確か。
つくづく、
自身はいわゆる「意気に感じる」と言う状態に入ると能力を発揮できる人間なんだと実感する。
他者との関わりが触媒になっているのだ。
人付き合いが煩わしくなることがあって、
無性にたまに独りで籠りたくなるのにね。
ふっと自身を俯瞰で見れたような気がする今朝。
今週最終日、がむばらねばね。
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06/01/2006
陰暦の呼び方には風情がある。
だからと言うわけではないのだけれど、今日は京都方面へ出張。
なんとなく雅な心持ちになっております。
まあ、市内ではないから、そんなに心改まる必要は無いのだけれど。
打ち合わせが終わるのが五時過ぎくらいの予定。
なので直帰するかどうかが悩み処。
どうするかね。
終日、傘は要らなさそうだから出歩くのには向いている日。
但し、日焼けしそうな本日。
既に汗ばんでおります。
good,but also... ってな今月のハジマリです。
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05/07/2006
Amazon で、
お気に入りで尚且つ書店で見かけない漫画を購入した。
誰も寝てはならぬ(5) サラ・イネス (著)
¥1,500以上、商品を購入すると送料が無料になる。
というか、それ以上買わないと本代並みの送料がかかる。
これは、
一つの同じ事実に対して視点を変えると
見え方が変わってくる事の例となるのだが、それはさて置き。
ともかくも、
1冊だけでは当方にとっては不利な状況には間違いない。
なので。
値段を合わせるために追加の2冊を購入した。
ソレ と アレ
最近はコレ、惰性で買ってるよな。。。
惰性でお金や時間を使えるのは大人な証拠だとは思うのだけれど。
32巻セットで売っ払うかな。
今、TBS系で流れてるアニメはオモロイねんけどさ。
、、、って、ぶつぶつ言いながら観てるし、俺。
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05/06/2006
僕は今日の演奏会には出演できなかった。
「撤退」と言って良いと思う。
理由や事情は考えてみれば幾つか挙げられるのだけれど、
突き詰めてみると2つの事に集約される。
ひとつは、
「人前で歌うレベルに自身を持って行けなかった」こと。
もうひとつは、
「音楽に信頼と信用を持つことができなかった」ことだ。
そうなってしまったのは、
今回の演奏会に向けて
自身を充分に練れなかったからだろうと思う。
具体的な理由を俯瞰で見て大括りに現せば、
自身の目論見の甘さと準備不足が
今の状況を決定付けたと考える。
物事を大括りにすることは、
ある面での事実を確実に隠してしまうけれども、
その事実とは異なった別の面の事実を明らかにすると思う。
次回はこの事実に向き合った上で、
今回のようなことにならないよう行動したい。
=====

誠の言葉は失われ
雲はちぎれて宇宙を跳ぶ
嗚呼輝きの四月の底を
歯軋り燃えて行き来する
俺は独りの修羅なのだ
自身の内に確かに在る
紅蓮の如く焦がす想いを忘れないようにしたい。
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05/05/2006
各地で話題沸騰中(?)の成分解析。
知人のWebで色々な解析を紹介していた。
迷わず、自分もやってみた。
手始めに「1. 恋愛分析機」を実際にやってみた。
恋愛分析機による杜松。の解析結果
杜松。の50%はダブルデートで出来ています
杜松。の40%はグループ交際で出来ています
杜松。の7%は熱愛で出来ています
杜松。の2%はヨコシマな心で出来ています
杜松。の1%はトラウマな心で出来ています
ふむ。
確かに初デートはダブルデートだったような気がする(曖昧な記憶)。
熱愛が3番目の成分で上がってきていることを善しとしようか。
続いて「10. ジャニーズ解析機」ってので解析っ!
ジャニーズ解析機による杜松。の解析結果
杜松。の66%はTOKIOで出来ています
杜松。の17%はKinki Kidsで出来ています
杜松。の7%は大倉忠義で出来ています
杜松。の5%は錦戸亮で出来ています
杜松。の5%は横山裕で出来ています
ジャニの中ではTOKIOはかなり好き。
なのでこの結果にもソコソコ満足。
ノってキたので「59. KinKi成分解析」で解析解析っっ!!
KinKi成分解析による杜松。の解析結果
杜松。の50%はかわいさで出来ています
杜松。の38%はヅラで出来ています
杜松。の6%は雪苺で出来ています
杜松。の5%はENDLICHERIで出来ています
杜松。の1%は堂本剛で出来ています
「かわいさ」はイイよ。。。
38%の「ヅラ」って、、、さ。。。
最後にスタンダードである「成分解析 on WEB」で解析してみた。
杜松。の解析結果
杜松。の99%は夢で出来ています
杜松。の1%は果物で出来ています
意外に真理か?
(ウソーーー)
お時間の許す限り、どうぞお試しあれ。
⇒ http://seibun.nosv.org/list.html
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05/04/2006
不意に点けたテレビに鈴木京香サンが出ていた。
井川比佐志サンとのやり取り。
井川サンが再婚することに対し、
京香サンが言う。
「おじさま。フケツよ。。。」
なんだか美しい日本語だな。。。
小津っぽいカンジだし。
と思っていたら。
新聞のラテ欄を見ると、
日本テレビ系列の DRAMA COMPLEX という枠で、
『娘の結婚 「晩春」より』と言うドラマが流れていたようだ。
小津監督の作品を市川崑監督がリメイク。
WOWWOWで放送したものを流していたらしい。
小津監督の『晩春』はDVDで手元にある。
けれども市川崑監督で
鈴木京香、長塚京三、仲村トオル、藤村志保、緒川たまきと言ったキャストのドラマを見てみたい。
これもDVD化されているようだ。
Amazonで探してみるかな。
この雰囲気が好きだと感じるのは、
自分がつくづく田舎から出てきた日本人だからなのではないか。
そう思えてならない。
そしてそれが嬉しく感じられる。
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04/21/2006

勇んで出掛けてたら、目にした看板のルビを、こう読んじゃったよ。
『うずき』
気持ちがクリアになるにも限度がある。
ついでに頭も空になったんか?
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03/10/2006
「村上春樹さん自筆原稿、無断持ち出し。古書店に大量に出回る」
夕刊紙の記事を文字通り斜めから読む。
隣りの人が広げていた紙面が視野に入ったのだ。
ふと、思う。
それはきっと、高額で取り引きされているのだろう。
額の折り合いがつかなければ、間違い無く僕は買ったりはしないだろう。
けれど。
万が一、
価格が折り合って、
しかも僕の好きな作品(例えば「回転木馬のデッドヒート」)の自筆原稿が一枚、目前に現れたとしたら。
果たして、
僕は見逃すのだろうか、それとも躊躇無く買い取ってしまうのだろうか?
多分、買わないと思う。
存命の作家の断片を手に入れて果たしてなんの満足が得られるのか。
今の僕には想像ができない。
但し、自筆原稿が一作品始めから終わりまであるのだったらかなり悩むだろうけれども。
これが。
大バッハの自筆譜が一枚だとしたら、どうだろう。
これは、欲しいかも。
所有しているだけで、ご利益、即ち良い音楽を創ることが出来るようになるかもと思えるのだ。
これはファン心理というより、偶像崇拝のような感覚だろう。
持っていたって、歌が巧くなる訳でもないのにね。
この感覚、我ながら不思議なものです。
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03/09/2006
産み落としてくれたこと
躾をしてくれたこと
養ってくれたこと
護ってくれたこと
学ぶ機会を与えてくれたこと
一緒に暮らしてくれていること
衣食住を営んでくれていること
一緒に笑ってくれること
送り出してくれること
迎えてくれること
悦んでくれること
音楽の楽しさを教えて下さったこと
生きることの楽しさを教えて下さったこと
創る喜びを教えて下さったこと
声の可能性を示してくれたこと
叱ってくれたこと
怒ってくれたこと
ものの見る術を示してくれたこと
雇ってくれていること
関わってくれていること
愛してくれていること
四季のある国に居させてくれていること
生きていること
活かされていること
そして、
生き抜いている自分に
ありがとう
三月九日。
今日はサンキューの日、なのだそうだ。
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02/16/2006
昨夜、
午後十時半。
帰りの、
運転中。
大きく、
壊死、
した。
心がまた石に化わる。
胸の痛みで卒倒してしまいそう。
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02/06/2006
以前、毎週水曜日に英会話のレッスンを受けていた際、
毎回レッスンのはじまりに必ず決まって先生から、
こう尋ねられた。
「どんな週末を過ごしましたか?」
アメリカ、イギリス、オーストラリア、
三名の先生に付いて教わったのだけど、
同じようにこの質問をしていたので、
これは主催者(僕が勤めている会社)から指定された
決まり事だったのかもしれない。
けれども、
外国の方々は僕ら日本人よりも
週末の過ごし方を大切にしているのは確かだと思う。
今回の僕の週末。
土曜日は一日中、歌って過ごし。
日曜日は一日中、飲んで食べて眠って過ごし。
日曜日はかみさんの誕生日イヴだったので、
そのお祝いの夕食。
今週を乗り切る活力を養いました。
…英語で言うと、どないに、なんねんやろ。
そして、レッスンでは続いて必ず言う返しの質問がある。
アナタは如何、お過ごしでしたか?、ってね。
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01/06/2006
BSで植木等サンを、観ている。
素敵、だわ。
こんなジジイに、なれたら、成りたい。
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12/30/2005
昨日は一日練習。
指揮者が怒って途中で帰っちゃう、あっけにとられた幕切れ。
今年の年末は、人の顕わな感情に曝されている。
これも、めぐり合わせ、だわね。
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12/27/2005
別に三冠馬ディープインパクトの話題ではないのだけれど。
昨夜は同僚3名と鍋を食しに行っていました。
我がチームの紅一点(二児の母)が宣う。
「U野サンって、スタートダッシュが効いてますよね。シゴトは先行逃げ切り型。でも走りながら色々と落として行くし、コースも一本道だし、コーナーも苦手」
「F井サン(俺のコトだ)は、走ればダントツなのに、納得できない、気が向かないと、ゲートが開いても絶対に走らない。たとえ、どんなにムチを入れられても」
「Aサンは、完璧な追い込み型。どんな距離を走っていても、結局、ゴール直前にならないとダッシュしない」
『そう言うO野は、独りで走ってる分には良いけど、レースになったらびびって走れないよな』
それが我ら、チーム・モリグチ(モリグチ、という所に事務所がある)なのだ。
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12/25/2005

生まれて初めて、クリスマス・イブの御ミサに与りました。
宗教曲を主に15年以上、歌を歌っているのに、ミサの経験が無かったのは我ながら意外。
それは、機会が無かったから。
まさしくその通りなのだけれど、もっと早くに与るべきだったと思ったのが今朝の正直な感想。
荘厳で厳粛な宗教儀式なのだけれど、どうしてほんのりと親密で温かい感じがあるのだろう?
穏やかな空間。不思議な雰囲気。緩やかな時間。
それが、イエスの生誕を祝う、クリスマス・イブの深夜ミサだから、強くそう感じたのかもしれない。
まあ、感化され易いし、俺。
けれども「幸せを分けてもらった」感じは、偽りではないと思う。
そもそも、「御ミサ」や「与る」という語彙も、
今回、初めて知ることができた。
信仰をしていない僕は、
そういう言い方をすることを知らなかったのだ。
これも貴重な経験の一つ。
音楽として何曲もミサ曲を奏ってきたけれども、
昨夜、与ったこの感覚を以って改めて音楽に向かい合いたいのだ。

そうそう。
昨夜のわかばくん情報。
ミサの「聖体拝領」(司祭からパンとぶどう酒を戴く)という儀式があるのだけれど、それを観てのヒトコト。。。
『毎回、見ていて不思議に思うんですよぉ。
ナニを戴いているんだろう?って。
もしかしたら、
塩こんぶ 、
とか戴いてるのかな?、って。』
俺は、キミのその感性が、好きだっ!
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12/24/2005


いつも練習会場としてお世話になっている、西宮市夙川カトリック教会のクリスマスの御ミサで、聖歌隊のご奉仕をして参ります。
信仰はしていませんが、 しっかりと歌います。
おめでとう、クリスマス。
みなさまにも平穏な夜が訪れますように。
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これが話題の「わかば」くんです。
好きなモノは、スイーツです。
お酒は、一口飲むと、千鳥足になってしまうそうです。
仲良くしてあげて下さいね。
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12/22/2005
『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読みながら。
ホット・ウィスキーを飲る。
シングル・モルト、ではなく、スコッチだけれども。
乾杯。
おやすみなさい。
善い夢を。

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12/08/2005
最近、家で資料を作っている関係で、会社から配給されているPCを持ち帰っている。
僕は持ち歩きをしないと言う「信念」めいたものがあったのと、キィの大きさとタッチにこだわりがあったので、一番大きなA4サイズのモノを選んでいる。1キログラム以下の機種で軽い部類に入るんだけど、ここ数日、それが重たくておもたくて仕方がないように感じている。
持ち歩きの最初の頃はは、そんなことを感じなかったのに。
人間の感覚って、不思議なものだと思う今朝。
…って言うか、俺がイーカゲンなのかもなんだろうけど、さ。
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11/11/2005
今日は、アノ日だ。
「ポッキーの日」
カレンダーを見て気が付いた。
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10/18/2005
Y・M・Oって、バロックだわ。
ソリッド・ステイト・サヴァイバーを聴いて、改めて思うわ。
アナログ・シンセだから「歪む」んだよな。
だから、70’s&80’sのJAPANに生きることが出来て、最高に幸せに思う。
BEATLESには間に合わなかったけど、Y・M・Oには間に合った。
間に合わなかった方々、ごめんなさいね。
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10/16/2005
国家認定試験である「情報処理技術者:情報セキュリティアドミニストレータ」なるものを受験してきました。
午前・午後1・午後2と言った具合の三部制。午後1の出来は満足できるものの、午前がカラキシで、門前払い確実です。
きっと、来年もまた受けるコトになりそう。。。
今からお願いしておきます。四月・十月の第三日曜日に演奏会の予定を入れるのはナシにして下さいな。
それにしても。
「門前払い」とは違う言い方をしようと思って、止めた語彙があります。
悪意の無い言葉への変な締め付けに違和感を覚えます。まあ、勝手に使うのを控えただけなんだけれど。
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10/07/2005
なのに、今夜もめいっぱい勤務。
だから、今夜はめいっぱい勤務。
どっちだろう?。
どっちもだな。
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10/04/2005
アナタの好きな作家の良さが、解らない。
(キミには少し難しいのかも)
キミが良いというあの曲の良さが、分からないんだよ。
(意外に聴く耳をお持ちになっていないんですね)
お前の女性の趣味って、ワカラナイ。
(アンタに見る目が無いからよ)
オープンカーのドコがいいの。判らない。
(クルマのドキドキワクワクを感じることが出来ないんだね)
今の「笑い」、どのへんがオモロイん?。全く笑えん。
(むっ。。。)
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08/07/2005
皆月(1999)
監督:望月六郎
原作:花村萬月
脚本:荒井晴彦
奥田瑛二(諏訪憲雄)
北村一輝(アキラ)
吉本多香美(由美)
荻野目慶子(沙夜子)
この映画を観るのは決まって深夜。
日中に観ようとは思えない。
今夜もアルコールでぼんやりした頭で、眺めていた。
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06/12/2005
ああねむい
ひたすらねむい
やるせない
明日、起きるの、嫌になるわ。
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04/02/2005
原作:京極夏彦「巷説百物語」
監督:堤幸彦
出演:渡部篤郎,小池栄子,大杉漣,吹越満
先日録画したものを観た。
渡部篤郎って、やっぱ、えぇわ。。。
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03/20/2005
昨夜、夕食を摂りながら同居人とNHK教育「きょうの料理」の録画を見ていた。
講師は板井典夫氏、通称は「マロン」。
……。
料理そのものよりも彼(?)のキャラクターそのものにズボっとハマってしまった。
オネェ、なのね、コノヒト。。。
お相手の後藤繁榮アナウンサーの合いの手も意に介さず、
ガンガン自分のペースで料理と話を進める力強さ。
時折、マロンちゃんの口から発せられる笑うコトが難しいギャグ。
ソレを自分で「アハハっ♪」と自己完結的に鼻に掛けて笑う潔さ。
ダメだわ、アタシのツボだわ、彼。
マロンちゃんの波動に共鳴してしまったのか、なぜかアタシもオネェな言葉遣いになっちゃう。
あら、やだわ。
それでなくても、アタシ、オネェのウワサが職場で立ったコトがあるんだから。
気をつけなくっちゃだわん。
それにしても、NHKにもオネェな人が随分と出てくるようになったよね。
嫌いじゃないからイイんだけど。
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01/09/2005
人と人とが解り合える必要条件はなんだろう。
僕は「価値観の一致」だと思っている。
では、
価値観とは何か。
極端な言い方をすると好きか・嫌いかを判定している基準が価値観。
それに尽きるような気がしている。
人の心もアナログ的なものじゃなくって、
この好き・嫌いのデジタル的なものが
幾重にも幾重にも重なっている集合体なのだと思う。
森羅万象、
一見複雑に捉えてしまう事象もその原理原則は、至って単純。
そして単純であるが故に美しい。
価値観が一致しているとは、
同じ地平に立って生きていると言うこと。
同じ太陽の日に当たり、
同じ月の大きさを感じ、
同じ星の流れを眺めることができ、
同じ空気の匂いを身体に容れて、
同じ音に心を震わされて、
同じ季節の移り変わりの中で暮らしている。
価値観が異なるとは、
太陽の日の温かさが違って、
月の大きさが違って、
星の流れを一緒に眺めることができなくて、
身体を纏う空気の匂いが異質のものになって、
聴こえる音が明らかに変ってしまっていて、
季節の移り変わりの早さが異なっている。
人は常に安住の大地を探している。
それが「生き抜く」ことだと思う。
自分の器に自身の立つ地平が「物足りなく」なったら、
人はその場所から離れなければならない。
その場所は今までは僕の場所だったのだけど、
これからの僕の場所にはならない。
窮屈な想いをして我慢してまでそこで生き続けるほど、
僕の人生は長くないのだ。
だから、
前か後ろかは分からないのだけれども、
進まなければ生き続けることなんてできない。
僕は今まで生きてきた大地が足らなくなったみたいで、
次の大地に進んでしまったように思う。
かつて僕が暮らしていたその大地に立つ人たちを、
責めることは明らかに間違いなのだと分かったのは割と最近のこと。
僕に出来ることは、
今から暮らそうとしている大地はとっても良いところであること、
そのことを彼らに伝えること。
そして残してきた人たちのことを思って悲しむことだけだ。
今まで一致していたと思う価値観が、
経年とともにずれてしまったことが分かっちゃうと悲しいよね。
だけどさ。
でも進まなくっちゃだよな。
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